朝ドラ『エール』モデル古関夫妻の子供は?妻金子はどんな母だったのか?

朝ドラ「エール」二階堂ふみ朝ドラ『エール』

2020年春の朝ドラ『エール』のモデルになった古関夫妻。妻の金子さん(二階堂ふみ)は、音楽の才能を夫以上に持ちながらも家事育児に専念するため声楽家を辞めました。

では、どんな母だったのでしょうか。長男が振り返ります。

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朝ドラ『エール』モデル古関夫妻の子供は?妻金子はどんな母だったのか?

古関夫妻には、子供が3人います。女の子2人、男の子1人です。結婚してすぐに2人の女の子が生まれました。しかし、なかなか男の子ができず、ようやくできたのは二女の誕生から15年経っていました。

終戦翌年の夏に生まれた長男が古関正裕さんです。現在73歳。

正裕さんの物心がついた頃には、父裕而さんには、弟子や書生が住み込みで12人いました。金子さんは、家のことや正裕さんの育児に追われ、音楽家を辞めていました。

金子さんは、ある日正裕さんにこんなことを言いました。

あなたの子育てのおかげで、私は声楽を諦めたのよ。私がベルトラメリ能子先生の一番弟子で、私だけが結婚もして、子育てもしながら頑張っていたのに。

子供としては、こんなこと言われても困ってしまいますね。でも、金子さんはそれだけ音楽が好きで、仕事と育児を両立している自分が誇らしかったんでしょう。

金子さんは、正裕さんにピアノを習わせました。先生は金子さんの知り合いである有名な音楽家夫婦でした。小学生の正裕さんは、音大生に混じってバイエルを弾いていたんです。

ピアノは高校生まで続け、大学受験を機に辞めたそうです。

正裕さんは、音楽が好きで高校の頃はカントリーバンドでピアノ担当でした。ただ、父裕而さんの音楽とはやりたいものが違うと思っていたそう。

一度裕而さんに、自分が作った音楽を聞いてもらった時のこと。

「正裕は、頭で考えて作っているからダメだ」とバッサリだったそうです。しかし、裕而さんは子煩悩でいつも温和な良き父だったそうです。

早稲田大学を卒業後、日経新聞社に就職した正裕さん。音楽の道には進みませんでした。親の七光というのも嫌だったそうです。

「エール」子供
(引用:http://www.usuyukisou.com/kitasan/index.php/

しかし、引退して67歳の頃。意を決して「喜多三」という音楽ユニットを結成しました。裕而さんの曲を中心に活動し、毎年ライブも開いています。

天真爛漫な金子

温厚な裕而さんと対照的だったのが、妻の金子さん。家族は、口々に「内助の功もない」と言います。

<嫁姑問題勃発>

正裕さんが直子さんと結婚し、程なくして幸子さんが生まれました。出産後直子さんは体を悪くして半年間の入院に。その間幸子さんの面倒を見ていたのが金子さんでした。

退院後も幸子さんの育児にガンガン口出しをする金子さん。とうとう直子さんと喧嘩に。当時は同居していましたが、幸子さんが3歳になった時に別居しました。

別居後、嫁姑の仲を取り持ったのが、裕而さんでした。その後は良い関係が築けたそうです。

金子は裏表のない人。怒った後はケロリでした。親戚の集まりでは、私の体を気遣ってくれたり。自分が声楽を我慢して子育てをしてきたので、私達にも完璧を求めたのでしょう。 by直子さん

また、こんなエピソードも。

孫の幸子さんに「私とママとどっちが好き?」と聞いてきたそうです。それで、「ママ」と答えると幸子さんの大切なものを隠したとか(笑)

金子おばあさまは、子供がそのまま大人になったような人。忖度も一切なし。祖父・裕而のことも「うちの人は天才ですから」と誰の前でもしゃあしゃあと言ってのけましたから。 by幸子さん

金子さんは、ずっと古関裕而のファン第1号でした。

金子のジェラシー

文通によって結婚した二人ですが、実は、裕而さんから金子さんに宛てた手紙はほとんど残っていないんです。

なぜなら、金子さんが夫婦喧嘩の末に、焼いたからです。

ことの発端は、裕而さんが若い女性歌手の名付け親になったことです。それを知った金子さんが激怒して、手紙を燃やし、さらに裕而さんは家を追い出されて、アパートに緊急避難しました。

それほどに金子さんは裕而さんを愛していたのでした。

2人が送り合った手紙は熱烈でした。

私もただ、あなたを愛するのみです。キス、キス。私はこのレター一面にキスします。(金子)
金子さん!あなたは、私の発想の源です(裕而)

裕而さんにとっては、いつまでも金子さんへのラブレターが作曲においての発想の源でした。

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