朝ドラ『エール』妻のモデル古関金子に内助の功無し?猛アピールの文通で電撃婚!

2020年春のNHK朝ドラ『エール』。主人公のモデルになったのは、作曲家小関裕而(こせきゆうじ)さん。そして二階堂ふみさんが演じる妻音のモデルは、古関金子(きんこ)さんです。

幼少期のストーリーが放送されましたが、活発で利発な音ちゃんですね。すでに片鱗は幼少期から見えていますが、金子さんは強烈な個性の持ち主だったんです!

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朝ドラ『エール』妻のモデル古関金子に内助の功無し?強烈な個性の持ち主だった!


(引用:http://www.usuyukisou.com/kitasan/index.php/blogs/index

古関金子さんのプロフィールから紹介します。

生年月日:1912年3月6日〜1980年7月23日
出身:愛知県豊橋市
職業:声楽家

ドラマに出てくるように、幼少の頃はオペラ歌手を目指していました。芸術を愛する活発な子でした。

12歳の時に、陸軍の獣医師をしていた父を亡くし、その後は母が家業を継ぎ育てました。

夫裕而さんとの出会い

裕而さんが20歳の時、『竹取物語』を題材にした舞踏組曲がイギリスのコンクールで2位になり、「無名の青年の快挙!」と新聞に載りました。

その新聞を読んだのが、金子さんだったのです。その記事を読んで金子さんが取った行動は…

写真入りの手紙を裕而さんの職場へ送った!のです。写真を入れるなんて、すごい行動力ですね。

その時の手紙の内容は

「私はオペラ歌手を目指して声楽を勉強しております。自分で申すのも何ですが、声にはいささか自信があります」

かなり強気な文章ですね。しかし、どうしても裕而さんと交流を持ちたかったんでしょうね。思いがひしひしと伝わってきます。

これに気圧されながらも、裕而さんも返事をしました。

「貴方という方と出会えたことは正に運命としか思えません」

こんなお返事をもらったら、もう思いは募る一方ですね!次に金子さんが送った手紙の内容は、

「ゆうじさん。私のスウィートハート。初恋です。そして私の最後の恋に致します」

もはやプロポーズですね。まだ二人は会ったこともないのに。時にはハートのイラスト入りだったそうです。

さらにすごいのが、初めて金子が手紙を送ったのが1930年2月頃。5月には裕而さんが金子さんに会いに豊橋へ行きます。翌月6月には結婚!

たった3ヶ月で、文通だけの電撃結婚でした。本当に運命の出会いだったんですね!

新婚生活

結婚した秋に、裕而さんが日本コロムビアの専属作曲家になったので、夫婦で上京し、東京の阿佐ヶ谷で新婚生活が始まりました。

日本コロムビアには同じく活躍する作曲家がヒットを連発します。それに落ち込む裕而さんを励まし他のが金子さんでした。

「あなたの音楽は国際コンクールで認められたじゃありませんか。必ずヒット曲は出ます」と。

そして、金子さん自身も帝国音楽学校へ入学します。そして、憧れていたベルトラメリ能子(よしこ)に弟子入りすることになります。

二人は音楽を軸に生活を始めました。

子供はいたの?

裕而さんが作った曲が、1935年頃からヒットし始めます。阪神タイガースの六甲おろしを作ったのもこの頃です。そして、2人の娘が生まれました。

その後世の中は戦争に突き進みます。

終戦を迎えた翌年、待望の男の子を授かります。二女とは15歳離れていました。

その頃、金子さんは声楽家を引退し、家事や育児に専念していました。裕而さんもたくさんのお弟子さんを抱えるようになっていたのです。

長男の正裕さんは、金子さんの現役声楽家としての姿も歌声も知りません。ただ、家ではよく歌って聞かせました。

「子供心にも母の歌声は力強く、素晴らしかった。あのまま歌を続けていけたら必ず日本を代表する声楽家になっていたと思う」と正裕さんは語っています。

また、夫の裕而さんも「妻は次第に家庭的に忙しくなり、残念ながら歌を歌う機会を逸してしまいましたが、家庭を守り、私の良き理解者であり、良きアドバイザー出会った」と言っています。