ミュージカル『レ・ミゼラブル』の中に出てくる「一日の終わりに」という曲はフランスの民衆が歌う曲です。劇中初めて、民衆が出てくるシーンです。当時の民衆はどんな生活をしていたのでしょうか。
政治がシッカリとしていなかった時代の、民衆の心の叫びを、和訳の歌詞を読みながら一緒に紐解いていきましょう。
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【一日の終わりに】を紐解く
たくさんの民衆、ジャンバルジャン、工場長、ファンティーヌが登場します。時代背景や歌詞について紐解いていきたいと思います。
フランス革命の後のパリで
レ・ミゼラブルの物語が作られたのは、フランス革命真っ只中の時代なのかと思っていましたが(もちろんその影響がまだまだ残っているパリが舞台ではありますが)革命時代の後の物語なんですよ。
あの有名な「バスティーユ監獄の襲撃」から、7年たった1796年に主人公のジャンバルジャンがパンを盗むことから始まるんですね。
「一日の終わりに」が歌われるころは、ジャンバルジャンがパンを盗んだときから時代が少し進んでいますが、フランスの産業革命が本格的ではない(資本主義が確立していく途中の)不安定な時期なんです。
1823年、主人公のジャンバルジャンがマドレーヌと名前を変えて経営する紡績工場で、多くの女性たちが働いていました。歌詞の中にもあるように「働く場所があるだけでも幸せ」というほど、民衆の貧困は想像以上のものでした。歌詞にも厳しい現実が歌われています。
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ファンティーヌ工場をクビになる
工場で働く女性たちの一人であるファンティーヌが、工場をクビになるときに歌われるの曲です。なぜ、ファンティーヌはクビになったのでしょうか。
ファンティーヌはシングルマザーで、子供がいることを隠して働いていました。そして、美しいファンティーヌを工場長はひいきしていました。もちろん、周りの女工さんたちは、それを良い気には思いません。妬みが歌詞にも描かれていますよね。
ある日工場に、ファンティーヌと離れて暮らす子供の病気を知らせる手紙が届きます。その手紙を見つけた女工が、ファンティーヌに詰め寄ります。そして、ファンティーヌに子供がいることが周りにバレるんですね。
騒ぎを聞きつけた市長ジャンバルジャンが、工場長に解決を迫ります。工場長はファンティーヌを気に入っていたので、彼女の秘密を知り怒ります。
さらに、工場長は、「夜は娼婦か」とファンティーヌに皮肉を言い、それに怒ったファンティーヌは工場長にツバを吐き付けます。なのでファンティーヌは工場をクビになるのです。
ファンティーヌは、子供のために一生懸命働いていただけです。ただ、美しかったことで妬みを買いました。どこの国でも、いつの時代でも、美人にヤキモチを焼くというような”いざこざ”ってあるものなんですね。
工場をクビになった、かわいそうなファンティーヌ。なぜ子供を預けているのか、どのような人物だったのか。工場をクビになり、失意の中歌った「夢やぶれて」については関連記事を読んでくださいね。
私がこの曲を聞いて思うのは、民衆が住みやすい社会をつくらなければ、不誠実がはびこってしまうというメッセージを伝えたかったのではないか、と。
それと同時に、工場で働く民衆は、とても厳しい生活を強いられていましたが、めげない力強さを感じます。辛いと愚痴をこぼしながらも、刺激を求め楽しく暮らしているようにも感じました。
ちなみにタイトルの「一日の終わりに」ですが、At the end of the dayはその意味以外に「最終的には、結局のところ」という意味で使われる熟語でもあります。
まとめ
- 「一日の終わりに」はフランス革命後のパリの工場で、ファンティーヌがクビになる時の曲。
- ファンティーヌは美しさから周りに疎まれていた。
- ファンティーヌは秘密を暴かれ、工場をクビになった。
誠実であれば最後には必ず勝つということが通用しないときもあるんですね。
でも今の時代よりも「毎日を生きる」ということを必死で受け止め、少しの出来事や幸せを喜んだり、感謝できた時代なのかもしれないなと感じました。